会社売却のタイミングと一人暮らしの手続きを始めた時期が同時だったため、俺はあまり会社売却に対して意識を向けることは少なかった。
それよりも一人暮らしのために週末やっているコールセンターのバイトが辛すぎてだるかったので、そっちのことばかり気にしていた。
ただ、他の社員は違ったようだ。
給料はそれほど高くないものの大企業の子会社で綺麗なオフィスビルで働くことができ、ストレスの少ない仕事。理想的な温い仕事だ。
それが今終わろうとしていることにみんな不安を感じていた。
だが、それだけじゃなく仕事に対しての思いもあるようだ。
前に書いたようにわが社の事業は一部を残し清算と譲渡される。大半の社員は今までやっていた仕事を失うのだ。
それは今までやってきたことへの否定と感じる人もいる。
楽しい時間は終わった。
エーサクとビースケ
会社の一部事業は譲渡されるため、それに関わる社員は別のグループ会社に転籍することになった。
その事業部は比較的社歴の浅い者が多く、この会社を支えてきた功労者は少なかった。
うちの部でも一人だけ転籍が決まっていた。便宜上エーサクとしよう。
エーサクは30代前半で若く、上司批判をするタイプのまだまだ生意気な若造という感じ。
そのエーサクと仲が良かったのが社歴10年のベテランだったビースケ。このビースケは俺と同年代で真面目で腰が低く謙虚だった。
エーサクとビースケは10歳ほど年が離れていたが、ゲームという共通の趣味で二人は仲が良かった。
休み時間にはいつも楽しそうにゲームをしていた。
会社の売却、エーサクの転籍が決まっても、二人は仲良くしていた。
だが、俺は光と影を感じざるを得なかった。
エーサクは前述したように上司批判もするし、仕事にもしょっちゅう愚痴を言うタイプだ。それに対しビースケは愚痴は一切言わずに真面目に取り組み、仕事にやりがいがあるとも言っていた。
その対照的な二人のうち不真面目なエーサクの仕事はこれからも続きグループ会社に残ることが出来るが、ビースケの仕事は2年後に清算して無くなり、今後もわからない。
残酷だなと思った。
しかし、この残酷な対比は親会社の人間が「あいつは良いやつだから残しておくか」などと恣意的なことは何もしていないことの証明でもあった。
広くなった会社
しばらくしてエーサクを含む事業部は転籍していった。
彼らは明るい表情で去っていったが、残された俺たちは相変わらずだった。
事業部が一つ無くなったので会社を広く感じるようになった。
残務で転籍後もエーサクは何回かわが社に来たが、いつも通りの気だるそうなエーサクだった。
ある時エーサクが通りすがったビースケに「うっす」と挨拶したのだが、気づかなかったのかビースケはそのまま去っていった。
勝手な想像ではあるがエーサクには今まで通りの大企業の子会社としてのぬるい日常があり、俺達のそれはもう終わりそうだった。
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