偏差値45~50ぐらいの高校の進路は就職するにも進学するにも中途半端

先日、フジテレビの坂上忍の番組で、オウム事件のドキュメンタリーをやっていたが懐かしかった。

高校の終業式だったか何か忘れたけど、とにかく学校が半日で終わる日に地下鉄サリン事件が起きて、何が起きているんだ?って一刻も早く帰ってテレビを見たかったことを覚えている。

学校が早く終わったり、休みの時はずっとオウム事件のワイドショーを見ていた気がする。

90年代はスマホもガラケーも無い時代だったから、テレビは王様でラジオも雑誌もまだまだ強い時代だった。

90年代の自分は10代で、ずっと何かに退屈していたように思うけど、今に比べれば色んなことあって、全てに可能性があって、よっぽど楽しいことばかりだったな……。

偏差値45(当時は偏差値50?)の高校は進学するにも就職するにも中途半端

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僕は以前から書いているように偏差値45の公立高校を卒業している。でも、当時は偏差値50ぐらいだったような気がする。(今調べてみると偏差値50とあった。サイトによって違うのかな?)

とにかくこのぐらいの偏差値45~50ぐらいの高校の進路は難しい。

もっと偏差値が低ければ高校3年になる前から、進学なんて基本的にありえないので就職の話になるだろう。

もっと偏差値が高ければ高校3年は受験勉強に明け暮れる。

僕ら偏差値50ぐらいの高校はそのどちらでもなかった。

受験勉強という雰囲気も無かったし、「卒業したら正社員かぁ。定年まで働くの嫌やなー」という雰囲気も無かった。

進学をするほど頭が良いわけでもなく、就職を前提とするほど進学の可能性がないわけでもないという感じ。

なので、僕らは自虐的に「俺たちって本当に中途半端だなあ」と言い合っていた。

受験勉強をほぼしないでも受かる大学に行く

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僕の仲間内で大学卒業時に4年生大学に行ったのも多少は居た。

でも、受験勉強なんてした上で行ったわけではない。

「高校卒業時に働くのも気乗りしないし、キャンパスライフとか送ってみたい。先生、俺でも行ける大学ない?」

みたいな感じで先生に相談して大学に進学した奴ばかりだ。

そういったレベルの受験生なので、四天王寺大学(当時は四天王寺国際仏教大学)、帝塚山学院大学、大阪商業大学など偏差値35~45ぐらいの大学に入学していった。大阪経済大学ぐらいに行くのは、わりと出来る人。

関西のマンモス大学で知られる近畿大学に行くようなのは、学年でトップクラスの成績を残していたような子だけだった。

男だけど短大に行くような奴もたくさん居た

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あと最近東京進出を果たしたダイアンという漫才コンビの西澤が、「しばしば「男やのに短大行ってた」とネタにする事がある。」らしいが、僕の周りでも短大に行った男は多い。(90年代後期だけ?)

僕も短大は女が行くイメージがあったのだが、大阪短期大学(現在は廃校)などは開学時から男子を受け入れていたらしく、男子で行った奴も多い。

彼らに短大に行った理由を聞くと、「専門学校に行くほど専門性のあるものを選べず、かといって4年生大学は試験もムズいし、4年も学校行くのは長い、何となく学生を延長したいから短大を選んだ。」らしい。

まぁ、そんな感じで、ほぼ受験勉強をしないまま4年生大学、短大に進学していったが、彼らのかなりの数が中退した。

高校教師をやっている友人が居て、彼の教え子も偏差値50ぐらいなのだけど、大学を中退する子が多いらしい。

なぜなんだろうね?

高校卒業後の進路はほとんどフリーターという名の無職

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卒業時に渡される文集のようなものに、卒業後の進路が書かれてあった。5割ぐらいは、4年制大学、短期大学、専門学校、あとは就職などの進学が書かれてあるが、進路が空白なのも多い。

僕も当時の彼女も空白。僕らは高校卒業時に進路も決まっておらず、フリーターにすらならなかった。

だって、高校卒業当時はバイトもしてないし、決まってなかったら。

空白の中には一応浪人生も混じっていたと思うが、高校のレベルから言って少ないと思う。

中学校の先生はどこかの学校に行かせようとするが、少なくとも僕らの公立高校の先生は違っていた。

「卒業してから考えます。」と言えば、「おう、そうか」という感じだった。

最初に書いたように進学するほど賢くもないし、高校と違って専門学校も大学も進学するには結構な金が掛かる。

行かないとしても経済的な理由なら仕方が無い。子供の貧困なんて叫ばれてなかったが、90年代でも経済的な理由で進学しない子は結構居た。先生が、僕らの進路にあまり干渉しなかったのもそんな理由があると思う。

とにかくフリーターになることは珍しい環境ではなかった。(私立高校だとまた違うと思う。)

親も進路をうるさく言わない人が多かった

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高校3年生になるから進路で親と揉めた。親に進路を決めろと言われているという話なんて、全く聞かなかった。(僕らの高校のレベルもあるかもしれないが……)

僕はこれが後のひきこもりやニートを産む要因の一つになったと思うが、90年代から2000年代当時、あまり親が子供の進路をうるさく言う人は多くなかったと思う。

「子供の人生だから好きに選べば良い。」そんな親が多かったのではと思う。

サラリーマン時代に高校生ぐらいの子を持っている先輩社員も、そんなことを言っていて、僕は「それって危ないですよ」なんて自分の経験から言ったことがある。

それは親の優しさだったり、大らかさとしての結果なのだけど、僕や友人達みたいに楽に流れるタイプは、「ほーん。人生の決断は先送りしていいのか。じゃ、後にしよう。」となってのちに路頭に迷ったのも多かった。(現在も路頭に迷っているが)

なので、高校卒業してからずっと後に「あんた、今後どうするの?」って母に聞かれた時は、「今さら聞くの?」なんて思った。親の優しさに甘えといて、本当にバカ息子だわ。

卒業後、僕は何となく予備校に通うことにした

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こんな僕なので何も考えずに卒業した。

いや、当時付き合っていた彼女のことしか考えてなかった。

彼女と一緒に居たいという気持ちだけで、他のことを全て後回しにした。

その結果進路を決めずに卒業したが、友達と同じくフリーターでどこにも所属しないのは何となく辛かったので、高校卒業後の4月に僕は予備校に行くことにした。

彼女は家計の負担を考え、進学をしなかったようだ。

僕は恋愛にかなり熱くなるタイプで、恋愛をすると関心もエネルギーも全てそっちに持っていかれる方である。

この当時も予備校よりも彼女の方にばかり気持ちがあった。

そんな僕の浪人生活は2年に及ぶことになる。

P.S

こんな感じで、毎週日曜日は過去回想編を書いていきます。

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