またブログが消えたよ。
最後に画像を差し込んでいる段階で記事がパーですよ。もう、本当にイヤになる。原因は僕のパソコンが古くて、はてなの更新をIEでやっているのが原因。
はてなブログが悪いわけじゃない。
他にパソコンもあるし、そっちは新しいからそっちを使えば良いのに何か面倒なんだよね。
こういう困ったことを面倒という理由で改善しないのって、めっちゃ底辺、下層階級、クズあるあるだと思う。
ちょっと動けば解決するのに面倒という理由で,、相変わらずのやり方に固執しちゃう感じ。
最近、ちょっと精神エネルギーを使い果たしちゃって、なかなか動けないんですよ。ということで気分転換で違う内容の記事を書きます。そして、気が向けばさっきと同じ記事を書こう。
- 盆に同級生と会ってまたやらかす
- 欝ほど酷くはないが、いつ精神的に落ち込むかわからないのは相変わらず
- 僕のうつ症状
- 僕のうつ症状に対する対処法
- 40代になった僕は自分を降りる決意をした
- 人は急に変われない
盆に同級生と会ってまたやらかす
盆という時期もあり、またしてもプチ同窓会があり、相変わらず学習しない僕は顔を出し、二月の再現をするというクズっぷりを発揮しました。
同窓会後にまたしても中年ニート・ひきこもり状態になってました – めざせ正社員!30代後半フリーターの就職・転職活動記
最近心機一転、就職活動に向けて頑張ろうと思ったものの状況は変わってないわけですから、僕の彼らに対するアレルギー反応も変わらないのは当たり前。
しかし、何で彼らと遊んでもストレス発散どころかストレスを溜め込むようになったのかな。
僕の方が原因だけど、もう友達でいる必要はないのかなと思いました。
欝ほど酷くはないが、いつ精神的に落ち込むかわからないのは相変わらず
僕は精神科の受診歴もなく、一応精神的に落ち込んでも自分で何とかできているので、プチ欝と呼んでますが、精神的にはここ何年も不安定です。
今年一番の落ち込みは2~4月中旬とかなり長くて、それ以降は回復傾向にありますが、それでもまた次の落ち込みが来る可能性は否定できません。
昨日の集まりが落ち込みのきっかけになりそうだったのですが、今回は何とか踏みとどまれそうです。
ただやっぱりリスクヘッジの観点からも落ち込みの原因になりそうな、同窓会を避けるのと酒を飲まないようにするのは大事だと思っています。
が、そんなに簡単に避けられないから困っているわけで、県外への就職でもした方が良いのかもしれないですね。
僕のうつ症状
僕が記憶する限り、最初にうつ期間を経験したのは2015年でした。
きっかけは信頼していた人からの予想もしない罵倒を受けたことがショックで発症。(勝手に僕が信頼していただけで、交流が深かったわけではない。)
1ヶ月ほどで回復しましたが、それ以降ちょくちょく1~2ヶ月の短期間のうつ期間を発症するようになりました。
うつ期間の僕の症状は
- 表情が無くなる
- 本が読めない(思考の集中力がなく読めない)
- 不眠
- 情緒不安定(泣きそうになったり、過去にされたことに、いまさら怒ったりする)
こんな感じでしょうか。ひたすら嵐が過ぎるのを待つように、寝て起きて酒を飲んでやり過ごしてきました。
僕のうつ症状に対する対処法
うつ期に襲われるようになってもうすぐ3年。その間それに苦しんで何とかしようと色々やってきた結果、自分なりの対処法みたいなものも出来上がってきました。
- コントロールしない
- 完璧な結果を求めない
- ゆるいポジティブシンキング
コントロールしない
まず、コントロールしないというのは、今の心の痛みや苦しみをコントロールしようとはしないということです。
痛みや苦しみがあれば当然取り除きたい(コントロールしたい)と思うのですが、そう思っても出来ません。なので痛いなー苦しいなーと思いつつも、どうもしません。でも、痛いのも苦しいのも辛いので、できれば他のことを考えるように心がけます。
僕の場合は心が痛かったり、苦しい時はわりとマジでエロいことを考えたりします。エロ妄想にふけって、時間をやり過ごします。エロいことを考える気持ちで無い時は何か動画を見たりして、痛みや苦しみから考えをそらします。
完璧な結果を求めない
僕は完璧主義者で、物事には何でもあるべき形があると思ってきました。例えば、お店の店員は○○であるべきとか、病院の医者は△△であるべきとか、こういう時は××であるべきとかね。
そして、そうでない場合はダメだと考えていました。○か×か100点か0点ぐらいの極端な思考。
この完璧な考え方は自分にも適応されるので当然辛い。ベストな行動を取れなかった場合は、いつまでも自分を責めてたりします。
でも最近は完璧など無い、完璧は神の領域と考えるようにして、完璧な結果を求める思考からは距離を置く努力をしています。
ミスしたことより、できたことがあればそれを褒めて、ミスについては考えません。
禁煙していてもたまにタバコを吸ったりしてしまうのですが、禁煙失敗と考えるのではなく、たまにはそんな日もある。たまになら禁煙は成功していると考えています。
ゆるいポジティブシンキング
ポジティブシンキングが良いことは知られたことですし、くよくよ落ち込むより、何があってもへこたれない考え方には憧れます。
以前の僕も当然ポジティブシンキングに憧れていたのですが、その時も完璧主義的な考えで100点のポジティブシンキングを目指していました。
つまり、何があっても落ち込まないポジティブシンキングを目指していたのです。
当然ですが何があっても落ち込まないなんて無理です。
それより一段も二段も難易度の低い、ゆるいポジティブシンキングを目指すようになりました。
それは出来るだけポジティブに考えて、ポジティブに考えられないことは無理して考えないことです。
昨日酒飲んでやらかしたことは自分の中ではポジティブに考えられません。なら、そうは考えません。「やらかしたー」と考えます。
でも、他のことでポジティブに考えられそうなら、考えます。出来ることだけポジティブに考えるのです。
そうすることで生活のなかで少しではありますが、ポジティブなことが増えた気がします。
非科学的な考えや方法にも思い切って頼る
これは欝への対処の番外編ですけど、非科学的な考え方や方法に思い切って頼るのも良いと思います。
欝への対処の科学的な対処は病院での診療を受けることですが、それを捨てない範囲で、非科学的な考え方や方法を実践してみるのも良いと思います。
僕自身が斎藤一人さんの本に傾倒しているのは以前書いた通りですが、彼の本や考え方もおすすめです。
30代無職引きこもりから脱出して社会復帰するきっかけは斎藤一人さんの本 – めざせ正社員!30代後半フリーターの就職・転職活動記
こういうスピリチュアルなことで、元気になれるなら大いに利用するのも手だと思います。
ですけど、変にお金を使ったり、スピリチュアルな考えに縛られるのは危険なので気をつけましょう。
僕は基本的にケチなので、こういったものにお金を掛けないので安心してハマれます。
40代になった僕は自分を降りる決意をした
欝になったり精神的に追い込まれたりする時って、僕の場合はこうあるべきってものから外れちゃった時でした。
自分なりに自分の振る舞い、性格、仕事やステータスに対して、こうあるべきってものがたくさんありました。
でも、20代、30代と大人になるにつれて、どんどんそれて自分が乖離していくのがわかる。その結果、僕はうつ気味になったのだと思います。
それで最近思ったんです。もう40代になったから、今まで持っていた僕という理想を降りようと。
年収1000万円ぐらい稼いでバリバリ働いていて、仕事もプライベートもうまくこなせているみたいな理想像なんて無理なんです。
そんなカッコいい自分の理想像なんて捨てて、プレイするのが辛くない新たな僕という像を作ろう。
それはブカブカだったり、キツイ自分像ではなく、身の丈にあった、手に届くものにしよう。
僕の場合はそれを一言で言えば、「見栄を張らない自分になる」になります。
僕は自分の理想と自分が乖離しているのに、見栄を張ってごまかそうとしてきました。
でもね、もう見栄を張るのは止めです。弱い自分を出しますし、情けない自分を出します。それが自分なのですから、仕方が無いです。
そう思うようになると、日々の見え方とか選択肢にちょっと幅が出てきたような感じがします。
人は急に変われない
さて、ここまで色々書いて来ましたが、やっぱりそんな簡単にはいかないですよ。
やっぱり人は急に変われない。
見栄っ張りで、完璧主義で、自分なりに理想があった男が、「俺は年収240万円だけど満足して生活できてるよ」なんて同級生に言えないですよ。
周りがどう思うかじゃなくて、やっぱりそれは簡単には言えない。
考え方を変えた方が楽だと思っても、40年それでやってきたのだから、それは強固に自分に染み付いてます。
でも、何かを変えないと、このうつと無職のスパイラルから抜けられないとは思う。
今は一応何とかうつ期に入らないで済んでいるけど、それは51対49みたいな感じでギリギリの差で何とかなっている感じ。
しんどいなと思う時や、誰かに助けて欲しいと思う時もあります。そして、やっぱり色々と後悔もしてしまう。
今日は疲れているから思う存分後悔をしてみて、明日からはまたちょっとずつ何かを変えていこうかな。
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